夏休み

小学生のころ、夏休みという時間は永遠のように思えた。 時間は有り余る程にある。でもこれといってすることがない。 外へ出ると暑い。洋間に山積みの本は大方読んだ。 草野球なんかまっぴらだ。たまった宿題はしたくない。 読書感想文だけは片づけた。夏休み終了前の数日が悲惨な 状況になるということがわかっていながら、やる気がでない。 ひぐらしの鳴き声がうるさい。夕方なのにずいぶん明るいなぁ。 しょうがないから、近所の川でも行こうか。 そうやって釣りをするようになった。今思えばいたって単純な理由だ。

商業高校から進路を選ぶ際に、大学を選んだ理由の1つは、 この夏休みがあった。慶應SFCでは、講義とは別に個人研究 (私は国際法なるものを専攻している)があるが、夏休みもある。 2ヵ月近く、自由を満喫できる。永遠のように思える時間があれば、 どこへだって釣りに行ける。夢はクリスマス島のボーンフィッシュだ。 四万十のアカメも面白そうだな。そういえば地元北陸のスイカ黒鯛の フカセもやってみたい。大学に入りたてのころは夏休みが楽しみだった。

 それがどうだ、大学生はやたらと忙しい。 たしかに夏休みはあるけれど、休む暇などありはしない。 国際法を専攻してからは、毎年の夏休みは、図書館に籠るようになった。 今まで毎年8月は青木湖でバスフィッシングをしていた。それができない。 研究書類提出のしめきりが迫ってくる。先輩が迫ってくる。

この夏も、試験期間が終わって、休みに入ったとたん、忙しくなった。 ゼミで行う模擬裁判の準備のために朝から大学へ通う日々が続いて いる。都内いくつかの大学図書館を巡り、山のように積み上げられた 資料を読み、提出資料を作成する。まあ、こんな作業もふと気がついて みると、贅沢な時間の使い方だな、と思ったりするものだ。

そんな中でも、今週から長野の大町仁科三湖で釣魚会の合宿が行われる。 長年ここの湖には通ってきた。夕暮れの青木湖はいい。昼間は蒼く透き通った 湖面が、日が傾き始めるとともに段々と朱色に色づいていく。夏虫のハッチとともに、 魚のライズが始まり、よくトップウォータープラグでスモールマウスを釣ったのを覚えている。 もう7年近く前だろうか。

レイチェル・カーソンという海洋生物学者の作品に”sense of wonder” (邦題『センス・オブ・ワンダー』)というのがある。「センス・オブ・ワンダー」とは 「美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見はる感性」。姪の息子ロジャーと一緒にアメリカ・メイン州の海辺や森を探検して感じたことを 綴ったエッセイを通じてそれらを投げかけている。この方は「沈黙の春」なんかでも知られているが、 学者でありながら、レイチェル・カーソンの綴る文章は、難しい概念を、それを感じさせることなく 超越し、やさしく語りかけてくる。

著者はこの本の中で、「知ることは感じることの半分も重要ではない」と語っている。 こんな世の中だから、あらゆる事象がめまぐるしく移り変わり、いつも大切な何か 忘れていく感覚を覚える。情報ネットが加速度的な進歩を遂げている現代においては、 知ること、はそう難しくない。それをどう感じ、そこから何を造り出せるか、そんな感覚が大切 だと思う。まあ、そんなことはどうでもいい。思う存分、感覚をフルに使い、夏の仁科を満喫したい。

柴 光則



Diary トップへ